雨星血統研究室

新米バーチャル先生、白沢先生と共に血統を一緒に学んでいこう!という感じのブログです

白沢先生の血統解説 第10回(ミスタープロスペクター編)

今日も見てくれてありがとうございます!白沢先生です!2020年の中央競馬が始まりましたね、やっぱりトリオンフくんは強い!これからもタートルボウル産駒の代表としてGIも勝ってもらいたいですね...!そして京都に強いサウンドキアラちゃん、次走はまたまたお得意の京都牝馬ステークス...おそらくここを使ってヴィクトリアマイルでしょうか?

さて、去年はサンデーサイレンス系をいろいろ解説していきましたが...今年の前期はミスプロ系についてお話をしていこうかなと思います!では早速まいりましょう!

アメリカの快速ボーイ

ミスタープロスペクターは1970年生まれ、父は前年に無敗の二冠馬マジェスティックプリンスを出して新進気鋭の種牡馬レイズアネイティヴ、母はゴールドディガー、ちなみにゴールドディガーとは金鉱採掘者という意味...だから子供はprospector(探鉱者)と名付けられているんですよね~。

そんな彼ですが二歳は脚部不安で一度も出走せず、実は三歳でデビューしました、その時のデビュー戦ダート6ハロンで圧勝!三戦目では同じダート6ハロンでレコードを記録...これは強いぞと思われていたが初のダート8.5ハロンの一般競争で3着と敗れ、その後は脚部不安で3歳シーズンを終えることになります。

四歳で陣営はスプリント路線に本格的に行き、再びダート6ハロンのレースでレコード勝ちはあったものの重賞にはもう一歩...というのを繰り返し引退。競走馬としては14戦7勝、競走馬としては並レベルの成功しか収めてなかったりしています(まあ彼は良血のため購入金額を考えたら失敗によるのかもしれません...)

しかし、彼の力は種牡馬として発揮することになります、というわけで種牡馬成績を見ていきましょう!

種牡馬成績

競争成績はなんとも...なミスタープロスペクターはフロリダで7500ドル(当時の日本円で150万ぐらい)で種牡馬生活を始めました。しかし、初年度から活躍する馬が多数現れ1979年にアメリカ2歳リーディングサイアーに、その後、活躍が認められ供用地が今もなお世界一の馬産地として有名なケンタッキー州へと移動し一流の良血牝馬に恵まれるようになり、さらに成績を上げるようになり1987-1988年にはアメリリーディングサイアーを獲得し最初の7500ドルから、種牡馬生活晩年には45万ドル(当時の日本円で4000万!)に跳ね上がるほどの超名種牡馬になり...亡くなった後もその子孫がアメリカ国内だけでなく、欧州や日本にも影響を及ぼすようになり、世界に広がるミスタープロスペクター系を祖となりました...!代表産駒は...多いのでこれからの血統解説でw(おい)

血統解説と傾向

ミスタープロスペクターって、前述のようにダートのスプリントでレコードを2回も更新した快速少年で最初は同じような短距離ホースが出ていたんですけど、後々配合によって中長距離や芝もこなせるような産駒を出したんですよね。現在の北米でのミスプロ系はダート中距離を主戦にしています。ちなみにミスプロと二大巨頭といわれているノーザンダンサーと実は似ている血統だったりします、話すと長くなりそうなのでここでは省略させていただきますw

というわけでミスタープロスペクターの基本的な産駒の傾向を見ていきましょう!...といいたいわけですが今じゃ世界にミスタープロスペクターを持ってる馬なんてそこら中にいちゃうわけで傾向というのはその産駒たちによって変わるので詳しくは次回からですね...!それでは2020年も白沢先生の解説をお楽しみに!お疲れさまでした!