雨星血統研究室

新米バーチャル先生、白沢先生と共に血統を一緒に学んでいこう!という感じのブログです

白沢先生の血統解説 第22回 ノーザンダンサー編

みなさん、今日もこんにちは白沢先生です!ダービーも終わり、ついに2歳戦が始まったわけですが、それよりも安田記念ですよ。グランアレグリア、本当に強くなりましたね。スプリント組が前に行ったことでスプリント経験が活き、いい折り合いがついたすごくいい勝ちっぷり、本当のグランアレグリアを見たような気がします。(池添さんは右目をお大事に)

というわけで今回は、血統解説のコーナー!!新シーズン、ノーザンダンサー編です!前回まで解説したミスタープロスペクターに並ぶ二大巨頭、この馬がいなければ日本はもちろん、世界の競馬界は180°違っていたかもしれない、そんな名種牡馬になります。それでは早速まいりましょう!

Nothern Dancer(ノーザンダンサー

ノーザンダンサーは、1961年にカナダで誕生。生産者はカナダの大富豪エドワード・プランケット・テイラー氏で、父のニアークティックもまた彼の生産馬、母のナタルマは彼の所有馬でした。名前の由来は父がニアークティック(新北区)、母父がネイティヴダンサー(先住民の踊り子)からノーザンダンサー(北の踊り子)と名付けらているわけですね~。

そんなノーザンダンサーでしたが、生まれが5月27日で成長しても小柄のままというあり様、セリに出されても売れず(まあ生産者が良血だから強気の価格で販売したせいもある)、結局テイラー氏が所有することになりました。

ちなみに気性が荒すぎて他の馬をいじめる、小屋の壁を壊す、2歳のくせして牝馬に発情する、調教でまたがると暴れて振り落とそうとする。その結果一度テイラー氏は去勢も考えたことがあるそうですが、ここで専属調教師さんが何かを感じたのか去勢を踏みとどまるように助言、どうにか去勢は免れたそうです(ここ歴史的判断すぎます)。

競走成績~カナダが生んだ歴史的名馬~

そんな気性が荒い遅生まれで貧相な体なノーザンダンサーだったが、父譲りの脚部不安もあってデビューもやや遅くなるという有様。そんな中行われたデビュー戦ですが、ここをなんと6.3/4馬身差で圧勝、その後も惜敗はあるものの、コロネーションフーチュリティというカナダ最高峰の2歳戦(ダート9ハロン)に参戦、なんと2着馬に6馬身1/4差で快勝し、文句なしにカナダ最強の2歳馬となりました。

そして、ここで馬主のテイラー氏はこう言いました

アメリカに殴り込みに行くぞ」

もともとテイラー氏はカナダ競馬がアメリカから格下に見られているのが嫌で、カナダ産馬を向上させるという執念で生産を行っていたことでも有名です。

こうして、カナダ2歳王者ノーザンダンサーアメリカ遠征が始まりました。まずはダート6ハロンの一般競走、ここでも格の差を見せつけ2着に8馬身差をつける快勝、次のレムセンステークスでも2馬身差とアメリカでもこの馬の凄さが伝わり、翌年のケンタッキーダービー優勝候補までと認知されるようになりました。

ここまでが2歳戦、戦績は7-2-0-0と文句なしのパフォーマンス。

さて、年が明けて3歳になったノーザンダンサーですが、レムセンステークス後の裂蹄に発症しておりフロリダの温かい気候で休養、ここで装蹄師の神技術により裂蹄は改善され、無事に2月から始動することになりました。

そして3歳初戦の一般レース、さすがに圧勝かと思いきやここで人生初めて3着に敗れてしまいました。あれ?と思いましたが、その後は何事もなかったのように連勝を重ね、いざケンタッキーダービー出走することになりました!

ケンタッキーダービーでは2番人気4.4倍のオッズがつけられ出走、4角手前で先頭に立ち追い詰める1番人気ヒルライズを半馬身差振り切り優勝!この瞬間、カナダ産馬初のケンタッキーダービー馬、さらにはケンタッキーダービー当日に誕生日を迎えていない馬として初めての優勝となりました!テイラー氏の米国に負けない馬づくりの精神が身を結んだ瞬間ですね...!(ちなみに時計も優秀で現在でも歴代3位らしいです)

その後、2冠目のプリークネスステークスでも2番人気というアメリカ人のプライドが許さないオッズで出走、ここでも直線手前で先頭に立ち2着(ヒルライズ)に2.1/4馬身差で快勝、横綱競馬を見せつけました。そして3冠目ベルモントステークス、まさかカナダ初の米国三冠馬になるのかと思いきや、ここで3着に敗れてしまいます。最後の一冠は惜しくも逃しましたがアメリカの二冠馬の称号を手にしたノーザンダンサー、これにてアメリカ遠征はおしまいになりました。

そして、カナダに凱旋したノーザンダンサーはカナダの最大レース、クイーンズプレートに出走、馬場入場の際はもう拍手喝采、それはそれはもはやノーザンダンサーのためにあるといってもおかしくないレースでした。圧倒的一番人気で挑んだこのレース、そして国民が望んでいたかのようにここを2着馬に7馬身半差つけて圧勝。文句なし、お前が最強だと言わんばかりのレースだったそうです。

その後はアメリカ遠征に挑みますが、ここで屈腱炎を発症、結局クイーンズプレートが最後のレースとなり引退となりました。競走成績18戦14勝、内訳14-2-2-0という着外なしの完ぺきな成績、あんなに小柄で遅生まれの馬がここまで成り上がるのですから、本当に競馬は分かりませんね!

種牡馬成績~第二の伝説~

引退後、テイラー氏が所有する生まれ故郷のウインドフィールズファームで種牡馬入りしました。1968年に初年度18頭の産駒がデビュー、初年度からカナダの年度代表馬ヴァイスリーガルを輩出、さらにアメリカで産駒の評判も高くアメリカで種牡馬をやってほしいと関係者からも言われ、アメリカにある支場にノーザンダンサーを移動させました。そして、産駒二世代目に種牡馬としてのノーザンダンサーの株を高めたある馬が現れます。

イギリス三冠馬ニジンスキーです、この馬が現れノーザンダンサーアメリカ、カナダだけでなく競馬の本場イギリスでも「ノーザンダンサーヤベェ!!!」と認知されていきます。その後も米国ではストームバード、欧州ではリファールサドラーズウェルズといった馬が大活躍し、1970,77,83,84年イギリスリーディングサイアー、1971,77年アメリリーディングサイアーというわけの分からないことをします。さらにこの馬の凄いところはもう一つあって、血統で初めて世界競馬を占領するというとんでもないことを成し遂げたのです。どういうことかというと、世界に散らばったノーザンダンサーの産駒が種牡馬となり、喧嘩することなくそれぞれが大成功するというチートみたいなことを成し遂げちゃったんですよ...そのため、血統表を見ると父がノーザンダンサーの血を持っている、母がノーザンダンサーの血を持っているというのがほとんどです。ヒーコワイ。

その結果種付け料は1万ドルから全盛期では95万ドル、現代価格だと2億円越えというわけの分からん価格になりました。ある人が「ノーザンダンサーの精液は同量の金と同じぐらい」と比喩してたぐらいですし、本当に恐ろしい...

(これがどれくらい凄いのかというと、8年連続日本リーディングサイアーディープインパクトが全盛期でさえ4000万円です)

代表産駒は挙げられません、多すぎます(笑)

血統解説~もっとノーザンダンサーを知ろう!~

父のニアークティックはカナダの年度代表馬で、産駒はノーザンダンサー以外にもノノアルコアイスカペイドという馬が活躍、種牡馬としても一定の影響を与えました。

母のナタルマは競走成績は並な馬ぐらいで、テイラー氏が35000ドルで落札した馬になります。その母のアルマームードサンデーサイレンスの父ヘイローの祖母でもある名牝、さらに時間を進めるとクロノジェネシスの父バゴもこの牝系出身になります。

タイプはもはや世代が進み、多様なタイプが出ているので一括りにまとめるのは難しいですね...後々に色んな後継を紹介していくつもりですので、よろしくお願いします!

まとめ~今日のおさらい~

と、長くいろいろ話してしまいましたが、端的にまとめるとこういうことになります!

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はい、というわけで今回のお話はここまでとなります!やっぱりノーザンダンサーは偉大ですね、さすが世界競馬を牛耳る血統だ...次回からはノーザンダンサー産駒の後継種牡馬の解説になるのでよろしくお願いします!

今回のお話で何か質問があれば、こちらのほうで受け付けますのでよろしくお願いします✨

匿名で聞けちゃう!雨星 白沢@競馬Styleさんの質問箱です | Peing -質問箱-

次回は...おそらくノーザンダンサー編の導入か、先週話した通り、血統の歴史について語りたいと思います。よろしくお願いします!あと最後にですが、血統や種牡馬について疑問に思ったことをマシュマロの方で募集していますのでこちらの方もよろしくお願いします✨

marshmallow-qa.com

ではでは、最後まで受講ありがとうございます!また次回お待ちしております!